マカオにて
正式名称は中華人民共和国マカオ特別行政区
1999年までポルトガルの植民地だった
1937年からの日中戦争はポルトガル領で
1941年からの第二次世界大戦
ポルトガルは中立国でいずれも戦火から免れた
そのため遺された8つの広場と22の歴史的建築物が
2005年世界文化遺産に登録された
日本が鎖国政策をとるまで
長崎との貿易で繁栄したマカオ
島根県の石見銀山跡地も世界遺産となったが
銀はポルトガル船でマカオを経由して
ヨーロッパへ運ばれた
世界経済を左右するほどのとりひきだった
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マカオの経済を支えているのはカジノのギャンブル収入
年間予算の約7割を占めている
入港のとき金色に輝く巨大なカジノビルが迎えてくれた
夕食後案内してもらい訪ねた
入り口で金属探知機 バッグを開いて見せ
OKという合図で入場した ただ帽子はつばを後に回させる
日本の建設会社の慰安旅行は一晩で数百万円が泡と化す
香港空港から直接フェリーでマカオへ そのままカジノへ入店
レストラン 両替所 銀行のATMも完備
24時間営業なのでホテルへ泊まらない人もいる
カジノで熱くなった日本のサラリーマン
カードの有り金全部はたいて部屋に閉じこもり
自殺を心配した
女性のディーラーがほかのカジノで負け
自殺したなど悲惨な話も聞かされた
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戦国時代キリスト教への弾圧
マカオへ逃れたキリシタンも建設に関わった
セントポール天主堂跡地へ立つ
小高い丘の上に巨大な外壁だけが象徴的に残されている
日本風の文様も見られ
海洋性の湿った暖かい空気のなか
数百年の時を経て
アジアの風は
はるかなつながりの糸をとおして吹いていた
昨年10月にマカオへ行ってきた。湿度の高いだけど以外と暑くないと思いながら、歩いた。三つの島が橋や埋め立てでつながり、はじからはじまで30分ほどかかる。けど通勤圏内は10~20分くらいという。自転車はまったくない。オートバイが駐輪場にきちんと並べられカバーがかけられていた。